温暖化対策・GHG排出削減の用語集

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ネイチャーポジティブ:地球の息吹を取り戻し、未来を豊かにする壮大な挑戦

私たちの地球は今、かつてないスピードで自然が失われる危機に直面しています。森林破壊、海洋汚染、野生生物の減少…これらは単なる環境問題ではなく、私たちの暮らし、経済、そして未来そのものに深刻な影響を及ぼしています。こうした状況を変革し、地球の生命力を取り戻すための壮大なビジョンが「ネイチャーポジティブ(Nature Positive)」です。

「ネイチャーポジティブ」とは、簡単に言えば「生物多様性の損失を食い止め、さらに回復させることを目指す概念」です。これは単に現状維持を目指すのではなく、自然を「ネガティブな状態」から「ポジティブな状態」へと転換させる、積極的な目標を掲げています。具体的には、2030年までに生物多様性の損失を止め、反転させる(Net Gain)、そして2050年までに自然が回復軌道に乗ることを目指すといった国際目標と深く結びついています。

まるで、これまで私たち人間が自然から借りてきたものを返すだけでなく、さらに豊かな利息をつけて返すようなイメージです。ネイチャーポジティブは、地球温暖化対策と密接に関わりながら、自然資本の価値を再認識し、経済活動と自然保護を両立させる新たな常識を築こうとしています。これは、環境意識の高い企業や消費者だけでなく、地球に生きるすべての生命にとって、最も重要な共通目標の一つとなるでしょう。

なぜ今、ネイチャーポジティブが求められるのか?:私たちの生命線「自然」の危機

なぜ今、私たちは「ネイチャーポジティブ」という、一見すると壮大すぎる目標に取り組む必要があるのでしょうか?その背景には、私たちが依存する自然が深刻な危機に瀕しているという現実があります。

第一に、生物多様性の壊滅的な損失です。IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム)の報告書によると、世界の生物種の約100万種が絶滅の危機に瀕しており、その速度は過去1,000万年間の平均の数十倍から数百倍に達するとされています。生物多様性は、生態系の安定性、食料供給、水の浄化、病気の制御など、私たちが生きる上で不可欠な「生態系サービス」の基盤です。この基盤が崩れれば、私たちの暮らしは成り立たなくなります。

第二に、気候変動と自然損失の相互関係です。地球温暖化は自然生態系に大きなストレスを与え、生物多様性の損失を加速させます。同時に、健全な自然は温室効果ガスを吸収・貯留し、気候変動を緩和する重要な役割を担っています(例:森林によるCO2吸収、湿地によるメタン吸収)。しかし、森林破壊や湿地の消滅が進めば、これらの自然の機能が損なわれ、気候変動がさらに悪化するという悪循環に陥ります。ネイチャーポジティブは、この負の連鎖を断ち切り、気候変動対策と生物多様性保全を統合的に進めるための不可欠なアプローチなのです。

第三に、経済活動への深刻な影響です。自然は、私たちの経済活動を支える「自然資本」そのものです。食料、水、原材料の供給はもちろん、気候の安定、災害の防止、観光資源など、多岐にわたる恩恵をもたらしています。世界経済フォーラムの報告書では、世界のGDPの半分以上が自然に依存していると推定されており、自然の損失はサプライチェーンの途絶、資源コストの上昇、新たな市場リスクなど、企業活動に甚大な影響を及ぼすことが指摘されています。ネイチャーポジティブへの転換は、短期的なコストではなく、長期的な経済的安定と成長を実現するための投資なのです。

第四に、法規制や政策の強化です。EUの「自然再生法」や、国際的な枠組みである「昆明・モントリオール生物多様性枠組」など、世界中で生物多様性保全に関する法規制や政策が強化されています。企業には、事業活動が自然に与える影響を評価し、開示する義務が課され始めており、ネイチャーポジティブへの取り組みは、これらの規制を遵守し、企業としての社会的責任を果たす上で不可欠です。

第五に、投資家や金融機関からの評価です。ESG投資の拡大に伴い、投資家は企業の環境パフォーマンス、特に自然資本への影響と依存度を重視するようになっています。ネイチャーポジティブへの具体的な目標設定や取り組みは、企業のレジリエンス(強靭性)や持続可能性を示す重要な指標となり、資金調達の優位性や企業価値の向上に直結します。

このように、ネイチャーポジティブは、単なる環境問題への対応にとどまらず、私たちの生存基盤、経済、社会システム全体を持続可能なものへと変革するための、喫緊かつ戦略的な取り組みなのです。

ネイチャーポジティブ実現への道のり:多様なアプローチと協働

ネイチャーポジティブを実現するためには、政府、企業、市民社会、そして私たち一人ひとりが連携し、多様なアプローチを統合的に進める必要があります。主な取り組みの柱は以下の通りです。

1. 生物多様性への悪影響を「回避・最小化」する

  • 影響評価と意思決定:新規開発プロジェクトや事業活動を行う前に、生物多様性への影響を詳細に評価し、悪影響を回避する、あるいは最小限に抑えるための計画を策定します。
  • サプライチェーンの変革:原材料調達から製造、流通、廃棄に至るまで、サプライチェーン全体での自然破壊や汚染を抑制します。例えば、森林破壊に繋がらない持続可能なパーム油や木材の調達、漁業資源に配慮した水産物の選択などです。
  • 汚染の削減:プラスチックごみによる海洋汚染、化学物質による土壌・水質汚染、農薬による生態系への影響などを徹底的に削減します。循環経済への移行も重要です。

2. 生物多様性を「回復・再生」する

  • 生態系の復元:失われた森林、湿地、サンゴ礁などの生態系を積極的に復元します。荒廃した土地への植林活動、干潟の再生、在来種の保護と再導入などが含まれます。
  • 自然共生型のインフラ整備:道路や建築物などのインフラ整備において、単に開発するだけでなく、緑地の創出、ビオトープの設置、生物移動経路の確保など、自然との共存を前提とした設計を取り入れます。
  • アグリビジネスの変革:持続可能な農業(環境保全型農業、有機農業など)への転換を促進し、土壌の健全性を回復させ、生物多様性を高めます。

3. 自然資本の価値を「認識・評価」し、「投資」する

  • 自然関連財務情報開示の推進(TNFDなど):企業活動が自然に与える影響と依存度を評価し、そのリスクと機会を財務情報として開示する枠組み(TNFD:自然関連財務情報開示タスクフォース)への対応が求められます。これにより、自然資本の価値が経済的意思決定に組み込まれます。
  • 自然を活用したソリューション(NbS)への投資:自然の力を活用して社会課題を解決する「自然を基盤とした解決策(Nature-based Solutions)」への投資を拡大します。例えば、マングローブ林の保全による防災機能の強化、都市の緑化によるヒートアイランド現象の緩和などです。
  • 資金調達の促進:グリーンボンドやサステナビリティ・リンク・ローンなど、自然資本への投資を促す金融商品を活用し、資金の流れをネイチャーポジティブな活動へと誘導します。

4. 国際協力と市民参加を「促進」する

  • 国際的な枠組みの強化:生物多様性条約(CBD)をはじめとする国際的な合意形成を強化し、共通の目標達成に向けた協力を推進します。
  • 市民の意識向上と行動変容:自然の価値や生物多様性の重要性に関する教育・啓発活動を通じて、市民一人ひとりの意識を高め、持続可能な消費やライフスタイルへの転換を促します。
  • 多様な主体との連携:政府、企業、NPO/NGO、研究機関、地域住民など、多様なステークホルダーが連携し、それぞれの知見や資源を活かした協働プロジェクトを推進します。

ネイチャーポジティブのその先へ:地球と共生する未来の創造

ネイチャーポジティブは、単なる環境スローガンではありません。それは、私たちがこれまでの「自然からの搾取」という姿勢を転換し、「自然との共生」を目指す、新たな価値観と社会システムを構築するための壮大な挑戦です。

この実現には、これまで以上の技術革新、投資、そして何よりも私たち自身の意識の変革が不可欠です。しかし、この挑戦を成功させることができれば、私たちは失われた自然の豊かさを取り戻し、気候変動のリスクを軽減し、より健康的で、より安定した、そしてより美しい地球を次世代に引き継ぐことができるでしょう。

ネイチャーポジティブな社会とは、人間が自然の一部であることを認識し、その恩恵を持続的に享受できるだけでなく、自然そのものも回復し、繁栄する社会です。このビジョンを実現するために、私たち一人ひとりが、そして企業や社会全体が、今できることから行動を始め、地球の息吹を取り戻すための旅に、共に踏み出しましょう。自然と調和した豊かな未来は、私たちの手の届くところにあるのです。